You are here: Home // バリ観光の歴史
<コラム> バリ観光の歴史 VI
〜日本人の発見したバリの宗教文化〜
『メディア・ムアンサ・インドネシア』を発行するニューコムという会社は、一般の会社とは異なり従業員のほとんどが外国人で、日本人は3割ほどしかいない。
Read More →
<コラム>バリ観光の歴史 Ⅴ
【日本人のバリ文化の発見】
一般の日本人がバリの存在を認識したのは第二次世界大戦の時であったようだ。と言っても戦時中のこと、“文化”とか“芸能”の島という見方ではなく、数ある進軍先の、蘭印(独立前のインドネシアの日本での呼び名)のひとつに過ぎなかった。
Read More →
<コラム>バリ観光の歴史 Ⅳ
【バリの“海”の発見】
終戦、そしてインドネシアの独立から20年を経た1960年代半ば、バリにも再び海外からの観光客が帰って来られる下地ができつつあった。
独立後、地方の分離独立の動きを納めたスカルノ大統領だが、その一方で社会主義的な傾向の強く、アメリカ主導的な国連に反発。65年には国連を皮切りに世界銀行、国際通貨基金(IMF)などに脱退を通告し、第2の国連の創設を視野に置いた新興国会議をぶち上げ、さらにはアメリカ文化の浸透を防ぐためにアメリカ企業の接収を進めた。
Read More →
<コラム>バリ観光の歴史 Ⅲ
【第二次大戦までの観光】
大不況の最中に開催された植民地博(31年・パリにて開催)の成功によって“文化と観光の島・バリ”の名は世界的にメジャーな存在となった。
しかし、33年にはナチスがドイツの政権を獲得、37年にはオーストリアを併合するなど、第二次世界大戦への道を歩み始めており、ヨーロッパ社会にはすでに、極東の島でオリエンタルな文化を満喫できるだけのゆとりはなくなっていた。
Read More →
<コラム> バリ観光の歴史 Ⅱ
【第一次大戦終結後の展開】
1919年、第一次大戦は終結した。この戦争は敗戦国ドイツだけでなく、戦勝国であるイギリスやフランスにも多大な経済的痛手を強いることになった。戦費を同盟国であるアメリカからの借款に頼った結果、戦後、ポンドやフランは高騰。逆にドルは暴落することになり、そのため数年にしてアメリカは世界一の経済大国になってしまったのだ。戦後、パリのモンパルナスあたりに世界中の食えない画家や作家が集まってきたが、これもフランが安かったからなんとかやって行けたという事情もあったのだ。
Read More →
<コラム> バリ観光の歴史 I
『企画』と『宣伝』そして『実行』
オランダによる植民地化が本格化した1910年代、バリ島の政治的な位置づけは、それ以前と大きく変わらざるを得なくなった。新しいポジションとは、蘭領東インド諸島(当時はまだインドネシアという概念は出来ていない)の主要な宗教であるイスラム教の後進性(当然、オランダを始めとする白人社会からの一方的な見方であるが)を証明するためのエグサンプル・ケースだ。
Read More →